体調不良デジャヴ①
お恥ずかしい話ですが、数日前に出先で頭痛と目眩と吐き気が酷くなって倒れ込み、どうにも立ち上がれず、救急車を呼ぶかと言う騒ぎになりました(T_T)
具合悪いのに出掛けるなよ!って話です。いやほんとに。 ひと迷惑な人間です。バカバカバカバカ。 情けなくてひたすら落ち込みました。
朝起きた時天気がとても良くて、今日はなんだかエセ更年期障害も軽いし、大丈夫!行けるんじゃね? …な気がしてしまって(^_^;)←気だろ!
救急車は申し訳なさすぎて必死でお断りしましたが、店員さん達にタクシーまで抱えられ、帰されました。
以来、また自宅で頭と首を揉みながらゴロゴロぐうたら生活です。自分の体が恨めしい。
こんな生活いつまで続くの…と泣きそうになったところで、ふと、あれ?ずいぶん昔にも同じような痛みに苦しんだことがあった気がする、と。
思い出しました。
思い出したきっかけは前回の記事。 姉の悪性脳腫瘍について書いたときに、古い記憶が蘇りました。
姉の脳腫瘍発覚からの大手術は、確か娘が小2、息子が幼稚園年中だった2003年末〜2004年初めのことだったと思います。 私も30代の初め頃でした。
実母から
「神様からのとんでもないクリスマスプレゼントや。また試練やわ」
と年末に暗い声で電話があり、取り急ぎ夫のお正月休みに子どもたちを預けてとんぼ返りの予定で実家に向かいました。
両親と共に、姉の主治医の説明を受けましたが、MRIの画像には絶句しました。 脳の中に巨大な真っ黒な塊があり、3Dで見ると、悪性腫瘍が周囲の血管を巻き込んでトグロのように増大し続けているのがはっきり見えました。 台風の目みたいな空白が、腫瘍の真ん中に見えます。悪性度が高いことの証明らしいです。
増大の速度が大変速く、病気発覚からたったの数日で腫瘍の大きさが卵大からソフトボール大へ変化していると言います。
「ステージ3と4の間、4に近い方です。手術は最短の日程で行いましょう」
とのこと。
もちろん姉のことは不憫でしたが、何より母がかわいそうでした。一体いつまで母は姉の病気を受け止め続けなきゃいけないんだろうと。
空気読まない自己中ワガママ父が
「まあしゃーないわ。本人にもそろそろ受けいれてもらわんと。こっちにも生活があるねんから。」
と、自分のその夜の酒のつまみメニューを母に指示していた時には、殺意が湧きましたね…。 こいつ一回豆腐の角に頭打って○ね、と。
だいたい小さい頃から、姉の入院による母の不在のたびに家に残された私をほったらかして、自分だけ飲み屋で満腹帰宅し、私にはサッポロ一番の麺だけ自分で茹でて食べる生活を送らせて飢えさせてたのは誰なんだよ! この永遠の父親失格ヤローめが!と(私もしつこいか-。-;)。
話が大きく逸れてすみませんm( )m
その後、大手術をした姉は当然予後も調子が悪くて大変でした。
頼りにならない父と、疲れ果てている母の代わりに、姉の看病のため、週末のたびに関西の実家と関東の自宅を行ったり来たりしていた私ですが、時期的にちょうどスギ花粉が舞い始める頃でした。
こんな時にいつもみたいに花粉症なんかにかかずらっていられない!と考え、かかりつけ医院で、ステロイドの皮下注射を受けました。
健康人生で初めて味わう術後の絶不調
私は子供の頃から本当に丈夫で、病とは無縁のすこぶる健康な人生を送ってきました。ありがたいことです。
3つ年上の姉は私とは真逆で、生まれた時から重病を繰り返す人生でした。
昭和40年代前半に低出生体重児(妊娠9ヶ月の早産)の双子として生まれ、より小さかった次女は生後数日で亡くなり、数百gだけ重かった長女の姉が生き残りました。
NICUで長く治療を受け命は助かりましたが未熟児網膜症を患って視力障害が残り、小学校に上がる歳には川崎病という心臓循環の病気にかかりました。これも昭和40年代にはあまり知られていなかった原因不明の病です。
川崎病の後遺症でずっと不整脈で病院通いをし、冠動脈瘤を切除手術したのは中2、さらに悪性脳腫瘍ステージ3で左後頭葉の大部分を摘出したのが30代、心筋梗塞で倒れたのが40代、一番最近が子宮筋腫です。
病気のオンパレードのような姉の半生。こう言ったらなんですがよく今も生きてるよって感じ。サバイバル人生ゆえか、50代になっても我が道を行く性格で口も立つ立つ(^◇^;)
80を超えた母の人生のほとんどは、姉の命を守ることに奔走する日々でした。
そんな母も、「80の壁」を超えて疲れ切ったのでしょう、数ヶ月前に脳梗塞で倒れた時は心配しましたが、幸い実家の目の前が救命救急センター(普段は救急車の音で眠れなくて大変なんですけどね^^;)で、発症直後に処置していただけた幸運から、麻痺も残らず回復しています。
病気がちな兄弟姉妹がいるorいた…という方は良くお分かりになると思いますが、健康な兄弟姉妹はなかなか寂しい境遇を味わいます。
お前は健康なんだから感謝しろ我慢しろお姉ちゃんはかわいそうなんだ…と言われても、物心つかないうちから親戚宅に預けられ、あっちの親戚こっちの親戚と転々とし、小学校に入ると常に鍵っ子、毎年の夏休みは姉の長期入院につきそう母が不在のため、低学年の頃から夕飯にはインスタントラーメンのサッポロ一番を自分で茹でて食い繋いだ私の半生も、たいがいサバイバルでした(笑)。
そんな私が50代になって初めて、病院で指摘された子宮漿膜下筋腫。 それ自体は命に関わる疾患ではないので私自身軽く考えていたのですが、何より術後のこの凄まじい頭痛と眩暈と耳鳴りの日々には、健康自慢プライド?(←ショボい)がポッキリ折れたみたいで、果てしなく暗い気分です。ため息ばかりついています。
鬱々とした気持ちが余計に不健康を呼ぶ、と頭では分かっているんですが…まあこの落ち込んだ気分もいわゆる「更年期障害」の一種なんでしょうね。 閉経と共に自然にやってきた更年期障害ではなく、子宮を摘出したことで突然無理矢理訪れた事態ですから、体も頭もびっくりしているんでしょう。
実は頭痛以外にももう一つ困っていることがあります。恥を忍んで吐露しますと、「排便の時のお腹の激痛」です。
朝、催すと、腸がガスで突き破られそうな激しい痛みを感じます。大汗(冷や汗)をかいてしばらくフリーズし、痛みが少しだけおさまったらそろりそろりと(でも急いで)トイレに向かう。
もはや毎朝が恐怖です。便秘も嫌ですが用を足すたび激痛と闘うのもめちゃくちゃ体力精神力を削られます。
子宮が体の中からなくなったことで、空いたスペースに腸は収まりが悪いんでしょうか?(-。-;
人生初の絶不調を味わう2022年秋。 でもこれ、実家には口が裂けても言えません。 弱っている母を姉以外のことで煩わせたくないし、昭和の亭主関白オヤジの実父には多分「お前そんなキャラじゃないだろう」と言われるのがオチ(笑)。
とにかく黙って乗り越えるしかない。 いつまでも続くわけない(と思いたい)。
頑張ってくれ私の体! 50年健康でいられたことに感謝するから!
毎日言い聞かせてます。
いったい子宮筋腫の原因はなんなのか②
約15年前、ピル治療のために訪れた婦人科専門クリニックで血液検査の結果判明したことは、私は元来、
「女性ホルモンの変動バランスが悪く、さらに男性ホルモンの分泌が多い」
ということでした。
これが長年にわたる「大人のニキビ」発生の原因だったそうです。
実母も若い頃ニキビに悩まされていたそうなので、おそらくこの体質は遺伝なんだろうと思います。
低用量ピルの服用を始め、乱れていたホルモンバランスが整えられ、以後約15年間肌が健全に保たれ、ニキビから逃れられて来た訳ですが、45歳でピル服用をやめた後、肌よりもやたらと胃の調子が悪くなり、かかりつけの内科を受診しCTを撮りました。
すると内科の医師が、
「胃腸には目立った疾患はない。でも、子宮筋腫がありますよ。婦人科ですぐ診てもらった方がいいです。紹介状を書くから、かかりつけの婦人科に行ってください」
とおっしゃる。 慌てて紹介状を持って、長年ピルを処方してもらっていた婦人科専門クリニックをまた受診しましたが、もろもろの検査後、若い男性院長いわく
「子宮筋腫なんてどこにもない。」
え?
内科の医師が間違えたのか? でも確信を持った口ぶりだったけど…。
院長「婦人科の医者でもない人がCTで診断くだすのはおかしい」
私にそう言われましても(-。-;
でも、専門医が「無い」と断定したものを、素人の患者が本当にないんですかなんて言ってすがって困らせることもできず、モヤモヤしたまま帰宅。
その後もずっと毎年人間ドックを受けてきましたが、一度も子宮については引っかかりませんでした。
去年の夏、ヨガの最中に腰に激痛が走り、やがて歩けなくなり、整骨院や整体院を渡り歩いた末に、大きな病院(今回子宮全摘手術をした病院)で腰のMRIをとった結果、子宮筋腫がようやく判明したわけですが、大病院の主治医曰く
「7.8センチの筋腫は、当然昨日今日出来たものではない。数年がかりで育っていたはずです。人間ドックで本当に一度も指摘されませんでした?」
〝5年前に内科で指摘されましたが婦人科の精密検査では筋腫は見つからないとのことでした”と正直に伝えたところ、主治医はうーんと首を傾げていました。
結局5年前に筋腫はあったのかなかったのか。 今となっては謎です。
ただ、ピルの飲用をやめたこと、すなわち女性ホルモンのバランスが再び崩れたことが、筋腫が急速に増大したことに何らかの影響を与えているのは確かな気がします。
いったい子宮筋腫の原因はなんなのか①
原因のわからない病は世の中に多々ありますが、子宮筋腫もそのひとつなんでしょうね。
女性ホルモンの分泌が関係しているらしい、と大まかに分析されているのみ。
女性ホルモンのバランス異常、と言われると、50年のこれまでの人生で、心当たりがなくもありません。
私は、前にも書きましたが身体発達が早熟なタイプで、小学校4年生のとき、身長154㎝体重43kg。5年生になる春休みの3月(10歳)に初潮が来ました。
中学受験をしたので5.6年生は夏期講習やら冬期講習やらで全く運動せずどんどん太り、6年生で157㎝49kg。その頃からやたらと生理が重かった。
そして時を同じくして私を悩ませ始めたのが、ひどいニキビでした。
思春期のニキビというには、ちょっと病的でした。頬やおでこにはほとんどできません。できるのは主に口の周りと、もみあげのあたり。
要するに、男性の髭が生える部分です。
大人からは、顔をちゃんと洗わず不潔にしているからだとか、甘いものを食べるせいだとか、太いからだとか色々言われ、何を反論したところでどうにもならないので黙っていましたが、そんなのどれも心当たりがない。
だってまず、ニキビが嫌で毎日何十回も狂ったように顔は洗ってました。
それと、当時から父譲りの酒飲みの遺伝子が受け継がれていたのでしょう、甘いものが大の苦手でした。おやつには、ポップコーンやスルメや柿の種やイカの塩辛が大好きでした。 (我ながら渋い^^)。
パフェやグレープやジェラートやティラミスやバニラシェイク大流行時代に、一切そういうのを食べられない、可愛げのない女子中高生でした。
さらに、ダイエットを決意して、10kgほど体重を落とし、10代後半は40kgジャストを長年キープするほど極度に体重制限もしていました。
※ちなみにこの身勝手なダイエットは後になって体から酷いしっぺ返しをされました。絶対しちゃいけません
しかし何をやっても、ニキビは悪化はすれど良くはなりませんでした。
思春期を過ぎて大人になれば少しは治るのかと思いきや、20代30代と歳をとるごとに酷くなっていきます。 もはや病気でしかないなと悩みました。
実は、
「このニキビは表面的な肌の問題ではない。ホルモンバランスの問題だな」
と確信した出来事があります。娘を出産した時のことです。
もう27年前になりますが、大変な難産で、3日間、72時間をかけて産みました。 その3日の間に、口の周りともみあげに数十個に上るニキビが、できては消えできては消えしました。付き添ってくれた母が驚くほど。
出産直後の、新生児の娘を抱いた写真の私は、口の周りがニキビの大群で真っ赤です。
ところが産後ひと月くらいで、これらのニキビが跡形もなく消え去り、しばらく、それまでの人生で経験がないほどの麗しい肌が保たれました。
しかし月経が戻ってきたらあっという間に肌の状況は逆戻り。月経前に大きなニキビが口の周りにボコボコと現れ、次の月経までに根治できないまま、新しいニキビに悩まされる日々。
2年後に息子を出産した後も、同じ経過を辿り、肌の調子は悪いままでした。
そんな長いニキビ人生で、ずっと試してみたいと気になっていた治療法がありました。 低用量ピルです。
かつてはジェネリックがなくて高額だったのと、ピルは副作用が酷いと声高く報道されていた時代が長かったのとで及び腰になっていましたが、30代前半、低用量ピルが画期的に開発されて汎用されるようになったので、試してみようという気分になりました。
もうこんなニキビ人生はごめんだと思ったのです。常に巨大なニキビ数個と、小さなニキビ予備軍が赤く膿んでいる顔なんて、ストレス以外の何者でもない。
ニキビなど無縁の、ツルツルツヤツヤの夫の顔を見るたび羨ましくて悲しくて(笑)
そして初めてピル専門の婦人科を受診し、ピルを処方された日から約1ヶ月、ニキビは全く減らず、高いお金払ってバカみたいだと失望しました。
でも根気強く飲んでいるうちに、1ヶ月半をすぎた頃でしょうか、突然、潮が引くようにニキビが消え失せました。本当に、ある日突然、すーっと。 そしてそれっきり、ただのひとつもニキビは出来なくなりました。
生まれつき肌が綺麗な方にはなかなか伝わらないかもしれませんが、ニキビ肌人生に長く苦しんだ私にとっては狂喜乱舞するほどの喜びでした。長年のコンプレックスから、ついに解放されたのです!
↑私が処方されていた2種。
低用量ピルのおかげで、服用開始から約15年、私はニキビと決別した幸せな人生を歩めました。
しかし…
45歳になった時、ピルを処方されていた婦人科から、 「血栓ができる可能性が高くなるので、45歳以上の方にはもうピルは処方できません」 と言われました。
仕方ないですよね、歳が歳ですから。
どうしよう、この歳になってまさかの、ニキビ面再来?
アラフィフのニキビ面って笑えないじゃん…
そんなふうに悩んでいましたが、服用をやめても危惧したほどのニキビ爆発は訪れず、毎月の月経のたびに1.2個の赤い膿んだ大きなニキビが口の周りに出来る程度。 触らず清潔にしていたら1週間ほどで自然と消えていく。
まあ、使っている基礎化粧品が若い頃とは段違いに高級なものだというのもあるんでしょうけども(^◇^;)
で、ニキビとはおさらばしたままの余生を送れそうだなと安堵した、そのあたりから、下腹が異様に膨らみ始めたと…
この経過に、女性ホルモンが影響していないとは、思えるはずもないわけです。
続く………
筋腫を取ってお腹は凹むか
実家住まいの3つ年上の姉も、数年前に筋腫が大きくなって子宮全摘しています。
姉の筋腫は重量1kgだったそうです。私の手術前、姉曰く、
「経験者としてのアドバイスだけど、筋腫をとっても、下腹は全く凹まないから期待しない方がいいよ。お腹周りが太いのは家系。」
………。
姉に心の中で突っ込んだ↓
〝お姉ちゃん、そもそも私より数十キロ体重重いよね?“
気の強すぎる姉に口が裂けても言えませんが(-。-;
手術前、筋腫のせいなのかビール腹のせいなのかそれとも姉の言う通り家系なのか、私の下腹は結構恥ずかしく突き出ていて、スポーツジムで友人たちにも「そのお腹やばいよ」とよく茶化されていました。お酒控えなよと。
ジム通い7年、それなりに腕や足や背中は鍛えられていますから(これでも一応体脂肪率15%ですが、腹囲は68㎝)、余計に目立つお腹周り。
さて、手術後。 しばらくは、どうすんだこれ、ってくらいお腹が膨らんでいました。腹腔鏡手術の炭酸ガスと、手術で腸内環境が乱れて張っていたのと、両方だったと思います。 妊婦さんのように丸いお腹。
それが、術後2週間。 完全にガスがなくなった訳でもないようで、お腹の不調はまだ感じるのですが、見た目は驚くほどペタンコになりました。
やっぱり、下腹の膨らみの大きな原因が、筋腫であったことは間違いないみたいです。
お腹が凹んだからか、友人には痩せたね、大丈夫?と心配されてます。 この歳になると、痩せる→病気したんじゃ?とか、親御さんの介護大変なの?とかに繋がるんですよね(笑)。50代の哀愁…。
我ながらなかなか美しく凹んだ下腹に浮かれ、ちょっとセクシーなショート丈トップスのヨガウェアを着てみる。
おお、似合う似合う!←浮かれるおばさん
カッコつけて「立木のポーズ」をしてみる。 両手を合わせて頭上に高く伸ばし、一本足で立つアレです。
………。
あかん。
ヘソが見えるじゃないか(-。-;
ヘソがまだまだ汚すぎました(~_~;)
傷ちゃんと治ってから着よう(T_T)
入院中本当に必要なものと注意すべきことその5
⑤ドライヤーorヘアアイロン
個室に入れるか大部屋になるか分からなかったので、私はヘアケアグッズを「ヘアブラシ」(ラ・カスタの愛用してるやつ)と洗い流さないトリートメント(ロクシタンのおまけでもらって貯めといたやつ)くらいしか持って行かなかったのですが、個室だろうが大部屋だろうが、ドライヤーやヘアアイロンはあると助かると思います。
個室だと当然自分専用の洗面台があるし、大部屋でもシャワールームに洗面台があるはずです。そこで、自分のお気に入りのドライヤーでちゃんと髪を乾かした方が絶対良いです。
私の入院先の病院では、ドライヤーは貸し出してくれたので、借りて使わせてもらったのですが、3つくらいあるらしき貸出用ドライヤーのクオリティが違いすぎました(汗)。
最も新しい令和購入ドライヤーにあたればラッキーでしたが(令和○年○月購入、とシールが貼ってあった)、平成仕様の古いのに当たると、そこはかとなく焦げ臭い風が、ゆる〜〜く出てくるばかりでなかなか髪は乾かないし、ボサボサになりました。
40代を過ぎてからこの10年、ものすごく髪のことは気になります。白髪は一気に増え、潤いがなくなり、薄くなってくるばかりの頭髪。
若い頃は平気でスーパーで安いリンス&シャンプーのセットを買っていましたが、今じゃ恐ろしくてそんなもの使えない(・・;)。
安さに耐えうる元気な髪だったのは、30代前半までだった…
だった1週間足らずの入院生活ですが、その1週間髪をぞんざいに扱うと、恐ろしい未来が待っていることは明白。
ですから、髪や頭皮を大事になさっている方は、ドライヤーの持ち込みは必須と思われます。
これを機に少し奮発して、良いドライヤーを購入なさるのもいかがでしょうか♪
私、ダイソンのドライヤー欲しいです
↑高い!(>_<)
以下、コロナでロクに旅行に行けず、貯めに貯めた、おまけヘア&ボディケアグッズと愛用のラ・カスタブラシ↓↓
今回の入院中に大放出いたしました(笑)
入院中本当に必要なものと注意すべきことその4
④マスク
なぜか、病院から渡された「必要な持ち物リスト」にマスクが入っていませんでした。 使わないわけないよね?え、提供されるの?と、半信半疑で何種類か不織布マスクを持って行きました。
結論:使いまくりました(当たり前か…)
なぜリストに入っていなかったのか、看護師さんに聞こうと思ってて忘れました(・・;)
で、マスクについて最も注意しなければいけないこと↓↓
【手術室に向かう直前に、綺麗なマスクに取り替えておくこと。手術後にも取り替えやすいように貴重品袋に替えを準備しておくこと】
深く考えず、手術の朝に適当にマスクをし、そのまま手術室に入ってしまうと、翌日の午後病室に戻るまでマスクを取り替える機会がありません。
手術中の自分の体は、思いの外汗をかき、ベトベトです。
マスクもすごーくヨレヨレです。
私の入院先の病院では、HCUで迎えた手術翌日の朝、看護師さんが「うがいします?歯磨きしてもいいですよ」と声掛けしてくれました。
運良く電動歯ブラシ&歯磨き粉&コップセットを、キャリーの一番取り出しやすいポケットに入れておいたので、看護師さんに取ってもらい、歯磨きしました。
磨いてうがいした水は、小さなうがい受け?の入れ物に出せば、看護師さんが処理してくださいます。 本当に天使。申し訳ない。
いやーしかし、生き返った〜〜〜(*´∀`)♪
が。
マスクの替えは、キャリーの奥深く。 取ってくださいとも言い辛く。
ヨレヨレのマスクを、せっかく歯磨きした口の上に被せた時の悲しみたるや。
マスクの替え、大事です。