子宮とサヨナラしたけれど

漿膜下筋腫ごと子宮全摘したその後に待っていた落とし穴

出生の秘密?②

子どもの頃、

「きっと私には、由緒正しい家柄のお金持ちの本当の両親がいて、私をいつか探し出し迎えにきてくれるにちがいない。そして実の親に引き取られた後は、夢のようなお姫様のような豊かな生活が送れるんだ!今のこのお金のない悲しい中流家庭での生活はその時終わる!」

と夢想したものでした(笑)。

テレビドラマではよくあるパターンの「出生の秘密」。 現実にはあるわけないよなーと(貧しいながらも育て上げてくれた両親には申し訳ないですが)、もろもろ諦めて、悶々とバイトと学校の往復で日々を過ごしていた高校生のある日。

なぜ、そのなんでもないある平日の夕方に告白しようと思ったのか、母の気持ちは未だに謎です。

軽音部の部活もバイトも珍しく休みのその日、学校から帰って制服を脱いでリビングでお茶を飲んでいたら、パートから帰ってきた母が突然、

「あのね、実は、あんたは次女じゃない。三女なのよ」

と言い始めた。

え?私って、3歳上の姉と2人姉妹じゃん。 17年間その立場で生きてきたけど。 フリーズ、としか言いようのない完全思考停止状態になった私。

は???なに?なんなの?そもそもこの唐突な深刻な空気はなんなんだ…

母「実はお姉ちゃんは、双子だったのよ」

私「お、お姉ちゃんが双子?!」

母「2人とも9ヶ月で早産でね。お姉ちゃんはなんとか生き延びたけど、より小さかった2人目の女の子は生後2日しか持たなかったの」

母の真面目な顔から、冗談ではないことは察しました。 思い返せば、姉が未熟児だったことや、生後3ヶ月NICUに入っていて、母が毎日せっせと搾乳して病院に持っていった話を何度か聞いたことがありました。

そして何よりもそれらのことを裏打ちする、これまでの自分の17年がありました。

私が物心ついた頃から、姉はとても病弱で、視力がとても弱く、いわゆる牛乳瓶の底メガネをしていました。年頃になって度の強いコンタクトにしましたが、それでも普通の近視&乱視。

幼稚園から中学生まで大病をいくつもした姉は、その度に命の危機にさらされて、両親、特に母は付きっきりで看病をし、私はたびたび親戚に預けられて育ちました。都会育ちが、慣れない田舎の親族の家で心細くて、いっとき言語障害になったこともあります。まあそういうことに配慮なんかされなくて当然の昭和の時代でしたから、克服したのかしていないのか分からないまま今に至りますが、とにかく思春期まで、姉といえば病院、私と言えばよそ様の家にお世話になる、そんな日々が長くありました。