子宮とサヨナラしたけれど

漿膜下筋腫ごと子宮全摘したその後に待っていた落とし穴

健康人生で初めて味わう術後の絶不調

私は子供の頃から本当に丈夫で、病とは無縁のすこぶる健康な人生を送ってきました。ありがたいことです。

3つ年上の姉は私とは真逆で、生まれた時から重病を繰り返す人生でした。

昭和40年代前半に低出生体重児(妊娠9ヶ月の早産)の双子として生まれ、より小さかった次女は生後数日で亡くなり、数百gだけ重かった長女の姉が生き残りました。

NICUで長く治療を受け命は助かりましたが未熟児網膜症を患って視力障害が残り、小学校に上がる歳には川崎病という心臓循環の病気にかかりました。これも昭和40年代にはあまり知られていなかった原因不明の病です。

川崎病の後遺症でずっと不整脈で病院通いをし、冠動脈瘤を切除手術したのは中2、さらに悪性脳腫瘍ステージ3で左後頭葉の大部分を摘出したのが30代、心筋梗塞で倒れたのが40代、一番最近が子宮筋腫です。

病気のオンパレードのような姉の半生。こう言ったらなんですがよく今も生きてるよって感じ。サバイバル人生ゆえか、50代になっても我が道を行く性格で口も立つ立つ(^◇^;)

80を超えた母の人生のほとんどは、姉の命を守ることに奔走する日々でした。

そんな母も、「80の壁」を超えて疲れ切ったのでしょう、数ヶ月前に脳梗塞で倒れた時は心配しましたが、幸い実家の目の前が救命救急センター(普段は救急車の音で眠れなくて大変なんですけどね^^;)で、発症直後に処置していただけた幸運から、麻痺も残らず回復しています。

病気がちな兄弟姉妹がいるorいた…という方は良くお分かりになると思いますが、健康な兄弟姉妹はなかなか寂しい境遇を味わいます。

お前は健康なんだから感謝しろ我慢しろお姉ちゃんはかわいそうなんだ…と言われても、物心つかないうちから親戚宅に預けられ、あっちの親戚こっちの親戚と転々とし、小学校に入ると常に鍵っ子、毎年の夏休みは姉の長期入院につきそう母が不在のため、低学年の頃から夕飯にはインスタントラーメンのサッポロ一番を自分で茹でて食い繋いだ私の半生も、たいがいサバイバルでした(笑)。

そんな私が50代になって初めて、病院で指摘された子宮漿膜下筋腫。 それ自体は命に関わる疾患ではないので私自身軽く考えていたのですが、何より術後のこの凄まじい頭痛と眩暈と耳鳴りの日々には、健康自慢プライド?(←ショボい)がポッキリ折れたみたいで、果てしなく暗い気分です。ため息ばかりついています。

鬱々とした気持ちが余計に不健康を呼ぶ、と頭では分かっているんですが…まあこの落ち込んだ気分もいわゆる「更年期障害」の一種なんでしょうね。 閉経と共に自然にやってきた更年期障害ではなく、子宮を摘出したことで突然無理矢理訪れた事態ですから、体も頭もびっくりしているんでしょう。

実は頭痛以外にももう一つ困っていることがあります。恥を忍んで吐露しますと、「排便の時のお腹の激痛」です。

朝、催すと、腸がガスで突き破られそうな激しい痛みを感じます。大汗(冷や汗)をかいてしばらくフリーズし、痛みが少しだけおさまったらそろりそろりと(でも急いで)トイレに向かう。

もはや毎朝が恐怖です。便秘も嫌ですが用を足すたび激痛と闘うのもめちゃくちゃ体力精神力を削られます。

子宮が体の中からなくなったことで、空いたスペースに腸は収まりが悪いんでしょうか?(-。-;

人生初の絶不調を味わう2022年秋。 でもこれ、実家には口が裂けても言えません。 弱っている母を姉以外のことで煩わせたくないし、昭和の亭主関白オヤジの実父には多分「お前そんなキャラじゃないだろう」と言われるのがオチ(笑)。

とにかく黙って乗り越えるしかない。 いつまでも続くわけない(と思いたい)。

頑張ってくれ私の体! 50年健康でいられたことに感謝するから!

毎日言い聞かせてます。

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